演奏家の最終形態としての「媒体になる」と言うのは、どういう状態なのだろうか?
お琴とは違うジャンルだが、ラヴェルの「ボレロ」を踊るJerge Donnの姿が私の脳裏によぎる。
あの空(くう)を彷徨うような虚ろな目で恍惚と踊る彼は、まさしく「媒体」なのだろう。「踊り」そのものに踊らされている。そこには本人の意思やエゴはもはや見受けられない。美しい肢体は崇高さを放つと同時に、ドロドロとした何かを背負っている。陰と陽、すなわち彼自信の光と闇が限り無く交わった踊りは、いつ見ても新しい何かを感じさせてくれる。
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