住むや誰 (たれ)
訪 (と) いて見んと 黄昏 (たそがれ) に
寄する車の 音信 (おとずれ) も
絶えてゆかしき 中垣の
隙間求めて 垣間見や
かざす扇に 焚きしめし
空薫き (そらだき) 物の 仄々 (ほのぼの) と
主 (ぬし) は白露 光を添えて
いとど栄 (は) えある 夕顔の
花に結びし 仮寝の夢の
覚めて身に沁 (し) む
夜半 (よわ) の風
日本語の美しさに、息を飲む。
この言語の美しい響きを、「美しい」と感じる事が出来る「日本人」という人種に生まれたことそのものに、幸せを感じる。
昔の日本人は、こんな風に言葉を操っていたのかと考えると、ただただ不思議で仕方がない。
源氏物語第4帖「夕顔」を元に江戸時代後期、菊岡検校と八重崎検校によって創られた地唄筝曲。作詞者は不明。
〈意味 Wikipediaより〉住んでいるのは誰だろうかと、たそがれどきに訪れた(源氏の)車であったが、(その女は隠れて住んでいたため、その家に)立ち寄る車も絶えていた。(源氏は、女のことを)知りたく思い中垣の隙間を探し垣間見た。女がかざした扇に焚きこんだ香の香りがどことなく漂ってきて、女主人はだれか知らないが、白露が光を添えて、いっそう美しく見えた夕顔の花を縁に結ばれたうたたねに見た夢も、(女の死によって)覚めてしまい、夜半の風が身にしみた。
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