位里は原爆投下から3日後に広島に行き、何もない焼け野原が広がるばかりの光景を見ました。
俊は後を追うように1週間後に広島に入り、ふたりで救援活動を手伝いました。
丸木美術館の丸木位里、俊ご夫妻の作品である「原爆の図」は、この広島入りするところから始まった。
「原爆の図」が展示されている丸木美術館と言う閑静な敷地の、それほど大きくはない館内に、1.8×7.2mの作品14部から溢れ出る膨大なエネルギーは、あまりにも大き過ぎて、声無き声が私に語りかける。
「ここではなく、他の地へ。
もっと沢山の人類が集う場所へ。
この悲劇を繰り返さないために、私たちを移して欲しい。」
人影の無い館内。
私の気のせいだろうか?
「アメリカの中心であり、ホロコーストミュージアムのあるWashingtonD.C.か、或いは世界の中心であり、国連のあるNew York か…。私の知識では他に思いつかない…。ただ、当事者であるアメリカ側はYesとは言わないだろう。」
私は静かにその場を後にする事しか、出来なかった。
この作品は、日本に在るべきものなのだろうか?
絵画ではあるが、あまりにも生々しいそれらは、全人類で共有すべきもののはずだ。
この作品が、アメリカに渡ることがあったとするならば、世界に真の平和が訪れたことの証と言えるのだろう…。
戦争で失われた全ての御霊安かれと祈念いたします…合掌