お琴今昔物語

門下生の独り言

初代山本邦山「壱越」

訪問して下さって、本当にありがたく感じています。ですが今回は、マニアック過ぎるお話なので、お琴と尺八奏者以外の方には大変解りにくいお話となっております、と注意書き。

 

西洋のクラシック音楽などの分類の一つに“絶対音楽”と“標題音楽”と言うものが存在する。

ざっくり言うと、情景描写やストーリー性を表現した物を「標題音楽」、ただ音楽の美しさや音の造形美を目指したものを「絶対音楽」と呼ぶらしい。

 

先日、尺八奏者と出逢ってしまったからには是非「壱越 」を、と思って練習を始めた (←先生には内緒 w )。

「壱越」って、どんな意味?

日本音楽の十二律の一の音。西洋の「D」の音。

ならば、この楽曲は題名からすると「絶対音楽」のはずだが、人間国宝山本邦山氏演奏の「壱越」を聴いていると、ふと目の前に現れる景色は春の山々。見事なサクラと言うよりは、ところどころに咲く山桜と春霞 ( ←あくまでも私個人の感想です )。

 

構成は究めて宮城道雄先生の「手事」の手法を感じさせる 。

「三部作」であり、段物や手事など古典要素が盛り込まれている点、題名から「絶対音楽」を思わせる点など。

決定的な違いは「壱越」は、何故か「春の山」が見えてくること。

あれ?何か聞いたことのある名前。そうだ、「春の海」。こちらもお琴と尺八の合奏曲。

山本邦山氏が試みたのは、「絶対音楽」と「標題音楽」の融合であり、宮城道雄先生の遺した「春の海」や「手事」などを越える作品を創作することだったのでは?と勝手な解釈をしてみた。

曲が似ている、と言いたいのでは無く、概念が似ている。否、似ていない。

「春の海」と「壱越」を、コインの裏と表の様に感じてしまうのは、多分私が邦楽界の「よそ者」だからかも知れない…。

 

【注意】あくまでも、私の勝手な解釈です。この件に関しての実質的証拠は皆無ですので、蘊蓄にして失笑を買ったとしても一切責任は持ちません。<(_ _*)>

 

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