世の中で「先生」と称する人物は、時に対象相手と恋に堕ちる。先生と生徒、先生と患者。まあ「先生」も、人間なので仕方がない。
知人である凄腕英語講師は、そう言う輩を「三流」と呼び「駄目、絶対駄目!」と蔑む。が、私の身内や知人にも数名「禁断の恋」で結ばれた方々がいるので、コメントは控えよう…。
そう言う意味で言えば、佐藤義久先生は一流の先生だ。浮世離れしてはいらっしゃるが w。
お琴にさほど興味の無かった私を、いつしかお琴沼にはまらせている。が、先生に沼らせるような事はまず無い w。
生徒が恋に堕ちるべきは、学んでいるもの ( 芸事や運動、学問など ) そのものであり、「先生」では無いはず。
生徒の上達は勿論大事な目的だが、まずは「好きになる」事の手助けをする事が、先生の役割りなのかも。
「好きこそ物の上手なれ」
先生との恋は楽しいかも知れない。お稽古やスクール、学校が楽しくなるかも知れない。が、恋が終ってしまったら、学んでいた「何か」も途中で断念することになりかねない。
「私 ( 先生の事) を嫌いになっても、○○の事は嫌いにならないで」
とは言え、せっかくの学びとの縁は疎遠となってしまうようだ。
それでもロマンスは、あちらこちらの学びの場で沢山芽生えているのだろうな…。
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