唄ものは、唄と唄の間にわりと長い間奏があって、その部分を「手事」と呼ぶ (遊女の手練手管とは意味が違う)。
お教室でのお稽古で「夕顔」の手事にさしかかり、難しい部分は何度も繰り返し弾かされる。私は先生に言ってしまう。
「ここ、難しいんですよ」
「いや、ここは難しいところではなくて、一番楽しいところだよ。興に乗るところだからね」
キョウニノル?知らない言葉を耳にして、先生に意味と漢字を教わる (常識のある日本人の方々は、私の無知に驚かないように)。洋楽で言うサビの部分や盛り上がる部分のような意味かも知れないが、少しニュアンスが違うっぽい。宴が酣(たけなわ)になっていく感じ。
美しい日本語の表現だな。こういう言葉を普段使い出来るのは、和の文化を学ぶ醍醐味のひとつとも感じる (普段使いしてる方々もいらっしゃるのだろうけど…)。
先生と唄う「夕顔」は明るく楽しい。が、私はやはり松浪千紫氏の唄う、しっとりとした大人の女性ならではの「夕顔」に憧れる。御所車の着物姿も美しい。(三味線を弾いていらっしゃるのが千紫氏)
彼女を目前に教わる生徒さん達は、うっとりして弾くのを忘れてしまうのではないか、お稽古に成らないのではないかと余計な心配をしてしまう。