宮城道雄先生は明治の文豪内田百聞先生のお琴の師匠だった。宮城先生が当時の百聞先生の様子を語る。
まるでスポーツでもやるような気分で、夏の暑い時など、肌ぬぎで汗を流しながら、箏をジャンジャン練習していた。そして、ロシヤ文学の米川正夫先生と、箏の合奏をするのを、試合をやろうやろうと言っておった。( 「私のすきなひと」宮城道雄著より引用 )
去年の事だが、ブロガーたぬちゃんが「カラマーゾフの兄弟」を読んでいる事を知り、早速 私も真似しようと 旦那の祖父の遺した 誰も読んでいないほぼ新品の ロシア文学全集から「カラ兄」を手に取り、直ぐに本棚に戻す 笑。難し過ぎた…。
米川正夫訳。
聞き覚えの有る名前だな?嗚呼、百聞先生と「試合 ( 筝の合奏 )」をしていた方だ。
- 異母長姉:米川暉寿(てるじゅ)は箏曲家。
- 異母長姉・貞は暉寿(てるじゅ)の芸名を名乗る盲目の筝曲家。
- 次兄:米川親敏(のち米川琴翁と改名)も箏曲家。親敏の娘の米川敏子も箏曲家で人間国宝。敏子の娘の米川裕枝も箏曲家で、二代目米川敏子となった。親敏の息子の恭男(のち二代目米川親敏となる)も箏曲家。
- 末妹の米川文子も箏曲家で人間国宝。三兄である清の娘の米川操(のち二代目米川文子となる)も箏曲家で人間国宝である。
( 二代目米川文子師 1926年8月生まれ )
入りにくいロシア文学米川正夫訳。筝曲家一家と分かり、少し距離が縮まったかと思われたが、文学は難しいままだった…。